2010/07/12
博多祇園山笠
子どものころから夏になると山笠があるのが当たり前だったので、今まで何とも思わなかったのですが、1241年から769年!もの長きにわたり今日まで行われている祭りだと思うと、すごいなとしみじみおもいます。昨今では地方の祭りは形骸化し、観光客寄せのためのものがほとんどになりつつあるなか、本来の神事としての意味を失わず機能しているのがすごいと思います。転勤などで福岡にいらした方は、山笠に参加するいわゆる「のぼせもん」が平日に会社を休んだり、昇進を棒に振ってまで山笠のために転勤を拒否したりすることに驚かれるようです。また平日に主要道路が山笠のために通行止めになるし、主要な地域では建物の建築、解体は一切ストップします。山笠とは関係ないビジネスマンとか配送業の人は大変だろうなと毎年思います。
幸いなことに?こけしの身内にはのぼせもんがいないので、毎年飾り山を見物して鉄鍋で餃子を食べてビールを飲むくらいのあっさりした山笠見物ですが、博多の夏の風物詩、写真だけでもおすそ分け。

ソラリアプラザの中の「水郷柳川文化薫」

なぜかソラリアプラザ内では高千穂の夜神楽が真昼間に舞われていました。ピーヒャラピーヒャラ。

新天町の飾り山。人だかりで近寄れず。しかしこの人だかりは選挙の演説を聞く人々。

新天町飾り山の裏面。非常に簡素な「ちびまるこちゃん」
子どもの頃は、よく出来た表側の人形たちは小難しい題材のもので生き人形のようでおそろしく、裏面のアニメ山笠のほうばかり見ていたことを思い出します。

川端商店街に移動して。「義経千本桜」

「ドラえもん」

今回見た中では一番美しかった「博多風神雷神恵」

走る飾り山。
現在では担いで走るための御輿と見て楽しむだけの飾り御輿に分けられていますが、江戸や明治の初めごろまでは飾り山のように大きなものを担いで走っていたようです。以前に古い写真を入手したことがありますが、木造2階建ての家が立ち並ぶ街筋を道幅いっぱいの御輿が走っていて、家の2階から前を通る御輿を見上げるように見物している人が写っていました。担ぐ人も今のように水法被を着ておらず締め込みのみの裸同然の格好でしたのできっと明治の半ば以前のものだとおもいます。周りには御輿より高い建物などなくほんとうに年に一度の山笠は興奮を誘うものだったろうと思われます。

商店街を突き抜けると、この祭りの本舞台である櫛田神社です。土砂降りの中、ご年配の参拝客を多数お見かけしました。

キャナルシティの飾り山は歌舞伎十八番の「暫(しばらく)」

裏面の「さるかに合戦」両面ともに良く出来ているのは少なく素晴らしかったです。小さな子供が見たらおびえるんじゃないかと思うほど臼も栗も本気の顔。さらには真中の部分もちゃんと鑑賞に堪えるよう、鯉の滝登りがあって感心いたしました。